My Motorcycle History PartT



私が今まで乗り継いできたバイク達と私のバイクライフの紹介です。

バイク入門時代(1976〜1980)


生まれて初めて乗ったバイクはその当時のGFが乗っていたHONDA ロードパル。自転車にエンジンがついているだけのようなシンプルな、モペットもようなものでしたが、アクセルを回すだけで走る感覚、そのスピード感はまさしくカルチャーショックでした。

HONDA ロードパル 初めて乗ったバイク

そして、初めて乗ったクラッチ付きバイクは友人が乗っていたYAMAHA TY50。本で読んだクラッチミートの方法を思い出しながら、クラッチつないだ途端にウイリー状態になって、そのまま自転車置き場に突っ込んみました・・・  オートバイの洗礼をあびてしまいました。それでもめげずにまずは原付免許を取りにいきます。学科だけなのでもちろん一発で合格、17歳の夏休みの事でした。

YAMAHA TY50 初めて乗ったクラッチ付きのバイク

免許があれば乗りたくなるのは人情で、バイトして3万円で親に内緒で最初に購入したのが中古のHONDA CB50。このバイクが私のバイクライフのスタートとなりました。今みたいにインターネットで簡単にというわけにはいかないので、当時モーターサイクリストという雑誌の「売りたし」というコーナーで探して電話をして買いに行きました。ついにバイクライフのスタートです。しかし買ってすぐに一時停止を無視してタクシーに突っ込んでしまいました。奇跡的に怪我もなくすみましたが、もちろん親バレで大目玉をくらいました・・・   その後17歳の冬に中型免許をとりましたが、高校生に中型バイクなど買えるわけもなく、CB50に乗っていました。高3の夏休みには友人と伊豆半島一周の初の泊まりのツーリングにいったりと、50ccながら私の最初のバイクライフを彩ってくれました。

Honda CB50
17歳で初めて買ったバイクはホンダのCB50。当時すでに 5年落ちくらいの中古でした。 スーパーカブベースのエンジンということで燃費が信じられないほどの高燃費で、どんなに回しても60Km/Lを下回る事はなく、タンク容量も9Lだったので1回満タンにするとガス補給の必要なく長距離を走ることができました。
初めての自分のバイクCB50

このCB50でツーリング、そしてオートバイの楽しさを知りました


高校を卒業してからは兄から貰ったHONDA CB250Tに乗ってました。そして憧れの大型免許に挑戦。今は大型免許も誰でも簡単にお金さえ払えば教習所で取れるようになってしまったけれど、当時は運転免許試験所でテストを受けるしか取得する方法はありませんでした。とにかく厳しい試験で、まずは事前審査というものがあり、転んだオートバイを起こす、八の字に押して歩く、ここで少しでもフラフラすると不合格となり本試験に進むこともできません。、で、その本試験も合格までは数十回はあたりまえ、合格率は2〜3%というまさしく超ハイレベルな難関中の難関の試験でした。私の場合練習は250ccで行い、初めての大型バイクは試験所でという無謀なものでしたが、なんと限定解除試験に奇跡的に一発合格します。ちなみにその時の試験者はSUZUKIのGT750とHONDAのCB750FUでしたが、私はCB750FUでした。ちなみに受験者50人で合格者は3人でした。

当時、超ステータスな大型免許をとったものの、学生でお金もなく実際に大型バイクを買うのはず〜っと先になります・・・この頃他に乗ったバイクといえば、友人からもらったボロボロのSUZUKIのTS90。 そして中古で買った同じくTS125。バイトの新聞配達で毎日乗っていたYAMAHA MATE等々です。また初めて’79鈴鹿八時間耐久レースを見に行きレースをやってみたいと思い始めた時期でした。

Honda CB250T
高校を卒業した時に兄貴から貰ったバイク。 初めての中型バイクです。 原付から乗り換えるとメチャクチャでかく感じたもんでした。250ccにしては大柄でパワーはないけれどとても素直で乗り易く、燃費も良くツーリング向きの良いバイクでした。
とても乗りやすいバイクでした。原付から乗り換えて高速にも乗れるようになり世界はさらに広がりました。



レース時代(1981〜1984)

大学に入り、憧れで念願だったレース活動をはじめることにしました。が、金のない自分が出られるレースは市販車の保安部品を外してそのまま走らせる事ができる、プロダクションの125ccクラスしかありませんでした。この当時のプロダクションレースは、市販車の保安部品を外しただけで改造ができるのはハンドル、スプロケット、メインジェット等変更だけで、マフラーやレースタイヤの使用は認められないという、お金が無くても楽しめる純粋にテクニック勝負となるレースでした。
プロダクションレース時代、最初に乗ったのは中古で買ったHONDA CB125JX。初レースは筑波サーキットで行われた地方レース。わけもわからぬままにがむしゃらに走って最終コーナーで見事に大転倒。それでもレースの魅力にはまっていきました。その後は、当時主力だったHONDA CB125Tに乗り換えましたが、ちょうどこの時期に2サイクルでCB125Tよりはるかに戦闘力の高いRZ125がレースにデビュー、お金が無いので買う事ができず、大幅に戦闘力のおちるマシンで最新鋭のマシンに挑んでいました。このプロダクションレース時期にマニュアルを見ながら自分でエンジンをばらしたり、バルブをすり合わせたり、キャブレーター分解調整、タイヤ交換、フロントフォークの分解整備等々と各種メンテナンスを勉強しクランク交換やエンジン載せ替えなんかも自分で行っていました。

初レースはCB125JX
筑波のパドックで こちらはCB125Tでの筑波のレース
周りは2ストのRZ軍団
プロダクションレースは全員がイコールコンディションでお金をかけずに楽しめるいいレースでした

プロダクションレース時期を経てバイトしてお金を貯めてついに購入した初の純レーシングマシンは1年落ちの中古のHONDA RS125RW-V
これでノービス125クラスにエントリー。中古マシンでしたが、レースでは最新モデルと互角の勝負ができました。自分にとって記念すべき最初の純レーサーでの初レースは鈴鹿での地方レース。予選(70台中30台通過)を15番手で通過し、決勝では、なんと3周にわたってトップを快走、結局7位に終りましたが、自信をつかんだレースになりました。この当時はレースブームの初期で私のクラスでも予選は多い時には100台以上集まり、決勝への道は狭く厳しいものでしたが、予選倍率2〜4倍という関門を突破して全て決勝に出場することができました。

レーサーに乗り換えてからは全日本選手権を中心に各地のレースに参戦。成績は、鈴鹿8位、筑波15位、筑波21位、筑波18位、菅生14位という結果でしたが、前述したように1年落ちのマシン、予選倍率は2〜4倍ということを考えれば予選を通過しただけでも今思えば上出来でした。
結局、全日本のポイントも獲得し、だんだん調子も上向いてきて、さあ、これからという5月の練習中に筑波で大転倒。マシンは大破。自分は救急車で病院に搬送、鎖骨の粉砕骨折という大怪我で、、3ヶ月の入院生活をおくるはめになり、結局レースから引退しました。



鈴鹿でのレース。 予選通過し
コースイン直前のスナップ

小雪舞うウェット路面の筑波サーキット 筑波、全日本決勝スタート前
観客も多く緊張!!
筑波の最終コーナー

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